栗林忠道「仇討たで、、、」

皆様おはようございます

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(すみだ水族館)

今日は栗林忠道大将の続きです。
「硫黄島の戦い」の戦果を語らなきゃですからね。
昭和20年2月・3月、大東亜戦争末期の戦いです。この硫黄島がとられたら、米軍の飛行機が日本本土に日帰りで往復できるようになるので、何としても護らねばなりませんでした。
米軍はこの硫黄島を5日間で攻略できると思って思っていました。しかし実際には36日間かかります。つまり、36-5=31日間、日本への空襲が遅れたのです。
この期間(昭和20年2/24~3/26)に産まれた方は、硫黄島で戦われた英霊の方々のおかげで無事に産まれたとも言えますね。
硫黄島は玉砕するとわかっていました。しかし、それを1日でも延ばし、本土で1人でも多くの赤ん坊が産まれるように、耐久戦をされたのです。
また、アメリカでは硫黄島の戦いは「勝者がいない戦い」と言うそうです。なぜなら、勝利と言うにはあまりにも犠牲が多かったからです。
元々の戦力差は日米で約23000対約110000という5倍近い差でした。
しかし、戦死者は約18000対約6800。これは負けたのでそんなもんかなと思うかもしれませんが、注目すべきは米軍の戦傷者約22000人!
戦傷者は連れて帰るのに1人に対して2人以上必要になるし、手や脚を無くした人、心を病んで狂った人など、その後社会活動に不都合が発生します。ある意味、戦死者以上にダメージが大きくなると言います。
本当に、栗林大将をはじめ、皆さん見事に戦ってくださいました。
では、栗林大将のお詠みになった和歌をご紹介します。
仇討たで野邊(のべ)には朽ちじ
吾は又七度生れて
矛(ほこ)を執(と)らむぞ
敵討ち(かたきうち)をするまで私は滅ぶまい。私は七回生まれ変わってでも戦うぞ。
この「七度」というのは、有名な「七生報国(しちしょうほうこく)」から来ているでしょうね。
楠木正成の弟が死ぬ前に言った「七回生まれ変わってでも、敵と戦って国を護りたい」から来ています。
すごい忠誠心、愛国心ですよね。
最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。
今日も一日、あなたがイキイキと
生きられることをお祈り申し上げます✨


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