お茶菓子~6月~

茶道のお稽古の際に、いつも先生がお茶菓子を買ってきてくださるのですが、
どのお菓子にするかどうかは当番の生徒が決めるようになっています。

私も当番の日をいただきましたので、
某和菓子屋さんのHPを見て、
一生懸命に「選定理由」を調べて考えました。

せっかくなので、ブログにも残しておきます。
採用していただいた「でんでん」の他もいろいろ調べて提案していました。

来年以降の6月頃にお茶菓子を選ぶ方の参考になるかと存じます。

でんでん

上皇后陛下が1998年にインドで行われた国際児童図書評議会の基調講演で、『でんでんむしのかなしみ』という絵本について触れていらっしゃいます。

要約しますと、
主人公のでんでん虫はある日、
自分の背中は悲しみでいっぱいだと気付いたのですが、
他のでんでん虫たちと話す中で、
みんな同じだと気付いて、
嘆くのをやめたという話です。

※選定理由は、お稽古の日に上皇后陛下を大変尊敬していらっしゃる友人が参加予定だったので、喜ばれるかなと思い、選びました。
※絵本も持っていきました☆彡

でんでんむしのかなしみ

作者の新美南吉さんはよく小学校の教科書に載っている『ごん狐』『手袋を買いに』で有名な児童文学作家です。
既に死後70年以上経っており、著作権的に大丈夫なようなので、『でんでんむしのかなしみ』の全文を引用させていただきます。

いっぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ その でんでんむしは
たいへんな ことに きが つきました。

「わたしは いままで うっかりして いたけれど
わたしの せなかの からの なかには
かなしみが いっぱい つまって いるではないか」

この かなしみは どう したら よいでしょう。
でんでんむしは おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。

「わたしは もう いきて いられません」
と その でんでんむしは おともだちに いいました。

「なんですか」
と おともだちの でんでんむしは ききました。

「わたしは なんと いう ふしあわせな ものでしょう。
わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるのです」
と はじめの でんでんむしが はなしました。

すると おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。
わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」

それじゃ しかたないと おもって
はじめの でんでんむしは
べつの おともだちの ところへ いきました。

すると、その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。
わたしの せなかにも かなしみはいっぱいです」

そこではじめの でんでんむしは
また べつの おともだちの ところへ いきました。

こうして おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、
どの ともだちも おなじ ことを いうので ありました。

とうとう はじめの でんでんむしは きが つきました。
「かなしみは だれでも もって いるのだ。
わたしばかりではないのだ。
わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃ ならない。」

そして この でんでんむしは もう、
なげくのを やめたので あります。

上皇后陛下の講演でのコメント

この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。

宮内庁HPに全文が掲載されています。

感想

人はつらい時、自分だけがつらいのだと思い込んでしまうことがあります。

そんな時、つらいのは「自分だけじゃない」ことに気づけたら、
それだけで励まされます。

まだ5歳の娘にこの話を読み聞かせても、よくわかっていませんでしたが、今後も時折、読み聞かせていこうとおもいます。

あんずの里

杏(あん)の古名は「唐桃(からもも)の花」です。

こちらの「からもものはな」という7文字を組み込んだ遊び心のある和歌が古今集にありましたのでご紹介します。

逢うからも
ものはなほこそ
かなしけれ
別れむことを
かねて思へば

訳:逢いたい人に逢えばその瞬間になんとない悲しみがいっそう深まるのは、やがて別れがあるということを、その時すでに感じているからなのだ。

実はこの歌を詠んだのは、百人一首にあります以下の有名な歌を詠んだ、
清原深養父という歌人です。
(『枕草子』で有名な清少納言の曽祖父です。)

夏の夜は
まだ宵ながら
明けぬるを
雲のいづくに
月宿るらむ

〈平井仁子31音口語訳〉
夏の夜は
夕暮れのまま
朝が来た
月は落ちずに
雲の後ろか

一年で最も夜が短い夏至に、思い浮かべたい和歌です。

香魚

鮎は食べると1年寿命が延びると言われ、
「年魚」と呼ばれるので、
お客様の長寿を祈ってお出しするのも良いかと思いました。

なお、万葉集には魚の歌が32首あり、
そのうち半数にあたる16首が「香魚」とも呼ばれる鮎の歌です。

例)
春されば
我家(わぎへ)の里の
川門(かはと)には
鮎子(あゆこ)さ走る
君待ちがてに
〈万葉集〉
訳:春になるとわが家の里の川の渡り場には小鮎が走っています。あなたを待ちかねて。
(素早く走っている小鮎が、まるで相手を恋い慕って逢いに行きたい衝動に駆られている自分の心のようだという歌だと思われます。)

紫陽花

先月、お茶の稽古の際に拝見しました山紫陽花に心奪われました。
また拝見したいと感じている方も多いのではと思い、選びました。

和歌)
紫陽花の
よひらの山(やえ)に
見えつるは
葉越しの月の
影にやあるらむ
〈朱雀院〉
訳:紫陽花の四片(よひら)が八重(やえ)に見えたのは、葉越しの月光のせいだろうか。

ちなみに、紫陽花のことを四片(よひら)とも呼ぶそうですね。
先月の山紫陽花の花弁は4枚だったような気がしますが、おぼろげなので、今後は花弁の枚数も数えてみたいと思います。

緑陰

6/21(水)は夏至で、太陽の力が強まる日なので、
暑さから緑の木陰で涼みたくなるかと思い、選びました。

※この菓子は梅餡を使っていたので、本年だと6/16~20にあたる七十二候の一つ「梅子黄(うめのみきばむ)」の時期に選ばれても良いかと思いました。

 

以上です。
皆さまの参考になりましたら幸いです。

 

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