明治天皇の御製(和歌)あだ波をふせぎし人はみなと川 神となりてぞ世をまもるらん

兵庫県神戸市にある湊川(みなとがわ)神社に行ってきました。
入口に「湊川懐古」というお題での明治天皇の御製の石碑がありました。

あだ波を
防ぎし人は
みなと川
神となりてぞ
世をまもるらん

現代語訳

いたずらに立ち騒ぐ波(=後醍醐天皇の敵である鎌倉幕府軍)を防いだ人(である楠木正成公)は、湊川神社の御祭神となって、世の中を護っているのだろう。

古典文法・古文単語解説

あだなみ(徒波)
いたずらに立ち騒ぐ波。
ここでは後醍醐天皇の反対勢力である鎌倉幕府軍のことだと思われます。
ちなみに「あだなみ」といえば、百人一首72番「音に聞く高師の浜のあだ波は~」が有名ですね。

(防ぎ)し
過去の助動詞「き」の連体形

みなと川
湊川神社を指します。
平仮名で書かれてあることと、句の繋がりから、「皆」との掛詞になっているとも解釈できそうです。
その場合、楠木正成公と一緒に戦った息子の正行(まさつら)などを含めるのでしょう。
御祭神は湊川神社のHPに記載されています。

(神となりて)ぞ
強意の係助詞

(世をまもる)らむ
現在推量の連体形

31音(おん)口語訳

賊軍を
防いだ楠公(なんこう)
湊川(みなとがわ)
祭神(さいじん)となり
世を護るだろう。

和歌を味わう

結句の「らむ」は単なる推量ではなく、現在推量です。
この御製をお詠みになった明治だけでなく、
令和となった現代も、護り続けてくださっているのだと感じます。

歌の背景に興味がある方はぜひ、
楠木正成公のご生涯
湊川神社創建の歴史
について、湊川神社のHPをご覧ください。

幕末志士~坂本龍馬の和歌~

湊川神社自体は明治になって創建されているのですが、
水戸黄門として有名な徳川光圀が正成公の墓碑(嗚呼忠臣楠子之墓)を建立して墓所として整え、
その墓所は明治維新の礎となりました。

墓所を訪れた幕末志士たちは高杉晋作、真木保臣、吉田松陰、西郷隆盛、伊藤博文、坂本龍馬、木戸孝允、大久保利通、三条実美など、錚々たる人物たちです。

坂本龍馬はこんな和歌も詠んでいます。

月と日の
昔をしのぶ
湊川
流れて清き
菊のした水

最後の「菊の下水」は楠木正成の家紋「菊水」をさします。

歌の解説は龍馬堂様のHPがわかりやすかったのでリンクを付けておきます。
短歌篇 月と日の〜

なお、海の特攻兵器である回天にもこの菊水が描かれていますし、回天の最初の隊が菊水隊でした。
回天の創始者である黒木博司少佐の慰霊祭は、楠公回天祭です。

国を護ろうとした人の想いが、正成公~幕末志士~昭和の軍人という風に、受け継がれていますね!

三つ折りパンフレットをいただきました。
右のは墓所に置いてあり、左のは御朱印をお願いした際にいただきました。

まさつらカルタ

湊川神社で、「くすのき まさつら かるた」というのを売っていました。
※正行(まさつら)は楠木正成の長男
激アツなカルタです。
子供たちと一緒に楽しみます♪

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

今日も一日、あなたがイキイキと生きられることをお祈り申し上げます✨

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