「空(そら)」が話題に上がった時に贈りたい思い出したい和歌・短歌 三首
あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな 明治天皇
澄んだ青空を見ている人へ
あさみどり
澄みわたりたる
大空の
広きをおのが
心ともがな
明治天皇
澄みわたりたる
大空の
広きをおのが
心ともがな
明治天皇
訳歌:あさぎ色で
雲一つ無い
大空の
ように心は
広くありたい
雲一つ無い
大空の
ように心は
広くありたい
意訳:あさぎ色〔=わずかに緑色を帯びた薄い青〕に澄み渡った大空のような広い心を、自分の心としたいものだなあ。
★「もがな」は願望の終助詞。
★明治神宮内にある「弘心亭」はこの和歌にちなんで名づけられたそうです。(明治神宮HPより)
★インターネット上に「あさみどり」を「朝のみどり」と解釈しているのを見かけますが誤訳です。「あさみどり」は「浅葱(あさぎ)色」などの浅い緑色です。
黄緑色よりも青みがかった色です。
(青系の色をイメージしないと、空なのに???山や木々ではなく??って思いますよね)
↓「浅葱(あさぎ)色」は右下です。
大空にそびえて見ゆるたかねにも登ればのぼる道はありけり 明治天皇
大きな挑戦をしている人へ
大空に
そびえて見ゆる
たかねにも
登ればのぼる
道はありけり
明治天皇
そびえて見ゆる
たかねにも
登ればのぼる
道はありけり
明治天皇
訳歌:大空へ
見上げるような
目標も
叶える手段
絶対にある。
見上げるような
目標も
叶える手段
絶対にある。
意訳:大空にそびえ立っているように見える高い山の頂上へも、登ろうと思えば登る道はあるんだなあ。
★私が一番好きな和歌です。
不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心 石川啄木
寝転んで空を見上げる人へ
不来方の
お城の草に
寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
石川啄木
お城の草に
寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
石川啄木
訳歌:城跡の
草に寝ころび
見上げれば
空に吸われた
十五の心
草に寝ころび
見上げれば
空に吸われた
十五の心
意訳:盛岡のお城〔=盛岡城跡公園〕の草に寝転んで、空に吸われた十五の心。
★「不来方」は盛岡の雅称。「鬼が二度とこの地に来ない」という意味です。
★「十五の心」は思春期なので、いろいろな悶々とした悩みがあると思われます。
そんな悩みも、寝転がって空を見上げていると、空に吸われるかのように気持ちがすっきりと晴れやかになるということですね。
★「お城の草」から、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出します。
啄木も古城に来て、歴史の長さや、人のはかなさを感じたのかもしれません。
(ちなみに、芭蕉が詠んだのは同じ岩手県です。盛岡ではなく平泉ですが)