源実朝「東の、、、」

源実朝の和歌っていいな💕と改めて感じる機会がありました。

実朝といえば、正岡子規がこんな風に詠んでいる大歌人です☆彡

人丸の
後の歌よみは
誰かあらん
征夷大将軍
みなもとの実朝
(歌聖と呼ばれた柿本人麻呂よりも後世には、誰が人麻呂に並ぶような歌詠み人がいるだろうか。征夷大将軍であった源実朝がまさにその人だ。)

ちなみに、正岡子規は橘曙覧(たちばなのあけみ)のことを、「源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人」と述べているので、子規にとっての歌人3トップが柿本人麻呂・源実朝・橘曙覧だったようですね!

さて、今回ご紹介したいのは、『金槐和歌集』の最後を飾った三首のうちの一首!

「太上天皇の御書下し預りし時の歌」という詞書がございます。
つまり、後鳥羽上皇から御書を賜り、その喜びを歌っているので、尊皇心溢れる歌です。

東(ひんがし)の
國に我がをれば
朝日さす
藐姑射(はこや)の山の
影となりにき

この歌について、相反する解釈を見かけましたので、分析しようと思います。

『コレクション日本歌人選 源実朝』(三木麻子、笠間書院)だと、以下のように説明されています。(赤字化は筆者)

東の国に住む私は、当然上皇様のおられる朝日のさす藐姑射の山の影としてお仕えする身でございます。「藐姑射の山」は中国で仙人が住むという伝説上の山、上皇が住む仙洞御所を言う。

一方、『物語日本史』(平泉澄、講談社学術文庫)では、このように解説してあります。

「はこやの山」は、上皇の御所のことです。上皇の御所に、日の光が当らず、御所が日陰になっているのは、東の方に、幕府があるからで、その幕府に、自分が将軍としていることは、申し訳のないことである、という意味です。

いかがでしょうか。「影」の解釈が全く異なりますよね。

古語で「影」と言いますと、「光」を指すことが多いです。
例えば、「月の影」で「月の光」です。

しかし、ここでは「山の影」なので、「光」ではない現代語と同じ影でしょう。

さて、この歌でのポイントは「東」と「朝日」だと思います。
当然、朝日は東から差し込み、西側が影となりますよね。

しかも、「をれば」(居るので)と理由・原因の表現となっておりますので、これを無視するのは不自然です。

よって、筆者は平泉澄先生の解釈を支持します。

藐姑射(はこや)の山影となりにきの「」は、現代と同じ「の(連体修飾格)」ではなく、「が(主格)」という解釈です。

東(ひんがし)の
國に我がをれば
朝日さす
藐姑射(はこや)の山の
影となりにき

意訳:東側に私たち鎌倉幕府があるので、本来は一番に朝日がさすはずの後鳥羽上皇様の御所が、幕府の影となってしまった。畏れ多く申し訳ないことであります。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。 今日も一日、あなたがイキイキと生きられることをお祈り申し上げます✨

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