日本とタイの歴史
皆様おはようございます! 和歌を愛する平井仁子(きみこ)です。
サワディカー!
タイに来ております。
タイといえば、世界中が欧米列強の植民地支配にあったときも独立を保っていた国です。アジアでは日本とタイだけが独立を保っていて、昭和16年には日泰攻守同盟条約も結ばれています。
(学校では日独伊三国同盟ばかり強調されますが、当時の日本はいくつもの国と軍事同盟を結んでいました)
昭和18年に東京で解散された大東亜会議にも、タイ王国からワンワイタヤーコーン親王がご参加下さいました。
なぜそんなに詳しいかって?
予習してるからです^ ^ どこかに訪れるとき、どなたかにお会いするとき、予習してるとまわりの方にプチ情報を提供できるので、軽く勉強しました。
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『日本が戦ってくれて感謝しています』シリーズ、オススメです!涙々の大歓迎!
では、上の写真の本に載っていましたことをご紹介します。
「人々は、異国で敗戦を迎えた日本軍人や在留邦人を励ましてくれた。
《街を歩く日本兵にバナナ売りの老婆が惜し気もなく商品のバナナを与え、交番の巡査が使役で疲れた日本兵にコーヒーや牛乳を馳走し、車夫は無料で乗れと勧める、という光景がいたるところで見られたという》(名越 二荒之助編著『世界に開かれた昭和の戦争記念館 第四巻 大東亜戦争その後』展転社)」
え?なんでそんなことしてくれたの?と思う方もいるかもですね。
日本が奇跡的に日露戦争に勝利し、欧米列強の植民地を解放していったからです。
タイ王国の元首相、ククリット・プラモード氏の言葉が有名なので、どこかで聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすく育っている。
今日東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは「身を殺して仁をなした」日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心された日である。
さらに 八月十五日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々はこの二つの日を忘れてはならない」
日泰の歴史を学び渡航すと
笑顔の中に絆感じる
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。 今日も一日、あなたがイキイキと生きられることをお祈り申し上げます✨
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日泰の歴史を学び渡航すと
笑顔の中に絆感じる
渡航直前の私にとって
とても響く歌でした♪
私も歴史を学んで、
金澤さんの様に発信させて頂きます☆