登場した和歌を31音口語(現代語)訳&プチ解説 ~大河ドラマ 光る君へを楽しもう♪~
オリジナルの口語(現代語)訳と意味(プチ解説)を紹介しています。
目次
第42回 川辺の誓い
『源氏物語』光源氏が詠んだ歌を、まひろが紙に書いていました。
『源氏物語』第40巻「御法」にて最愛の紫の上旅立たれたあと、第41巻「幻」にて、出家を決意した光源氏が詠んだ歌です。
もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に 年もわが世も今日や尽きぬる 光源氏
過ぐる月日も
知らぬ間に
年もわが世も
今日や尽きぬる
あいだに月日
過ぎてゆき
今年も私の
寿命も終わり?
意訳:もの思いにふけっていると、過ぎ去る月日にも気づかないうちに、今年も、私の生涯も、今日で尽きてしまうのか。
第41回 揺らぎ
初っ端から彰子さまが歌を詠み、まひろが「中宮様がお歌をお詠みになるの、初めて聞きました。」と驚いていましたね!
つぶやきの途中から和歌になって、
「あれ?!和歌が始まってた?!」と感じるような場面でした。
「父上の死を知らず、撫子の花を手にしている我が子が」というつぶやきから、以下の歌に入りました。
※父上は一条天皇、我が子は=敦成親王(のちの後一条天皇)
見るままに露ぞこぼるる遅れにし 心もしらぬ撫子の花
露ぞこぼるる
遅れにし
心もしらぬ
撫子の花
涙こぼれる。
父の死を
知らず我が子が
愛でる撫子。
修辞法:「撫子」は「撫でし子(「いい子、いい子」と撫でて育てた子)」の意味から「愛しい子・愛児」を示しています。「露」は涙を暗示しています。
意訳:(我が子を)見るにつれて、涙がこぼれる。父上の死を知らず、撫子の花を手にしている我が子(が可哀想)。
※冒頭のつぶやきが「我が子が」で終わっていたので、意訳の最後にも「が」を加えてみました。
『後拾遺和歌集』にも収録されています。
他に『栄花物語』、『今昔物語』、『今鏡』、『宝物集』にも登場している歌だそうです(千人万首さまのHPより)。
見事な歌なので、たくさん引用されたのですね。
歌の後に、彰子さまがまひろにこう言っていました。
「亡き帝と歌を交し合いたかった。(中略)敦成も敦良も、もっともっと帝に抱いていただきたかった。」
この「抱く」というのが、まさに「撫子(撫でし子)」の様子だなと思うと、本当に切なくなりますね。
さて、彰子さまが和歌を詠んだことで、彰子さまサロンでの歌の会が催されました♪
赤染衛門・紫式部・和泉式部の3名が詠むという和歌尽くしの場面でした。
たれにかは告げにやるべきもみじ葉を 思ふばかりに見む人もがな 赤染衛門
告げにやるべき
もみじ葉を
思ふばかりに
見む人もがな
私と同じ
テンションで
紅葉の良さを
わかる人いる?
意訳:誰に知らせを送るのが良いだろうか。(この美しく)紅葉した葉を(私と同じ)くらいに感動して見る人がいればなあ。
何ばかり心づくしに眺めねど 見しにくれぬる秋の月影 紫式部
心づくしに
眺めねど
見しにくれぬる
秋の月影
たいした悩みじゃ
ないけどさ。
月が涙で
曇るんだよね。
意訳:たいしてもの思いにふけって眺めているのではないのに、見ていたら涙で曇ってしまった秋の月だ。
強がりな感じに見せつつも、弱さも垣間見せていますね。
ツンデレ感が出ていてとっても好きです。
憂き事も恋しきことも秋の夜の 月には見ゆる心地こそすれ 和泉式部
恋しきことも
秋の夜の
月には見ゆる
心地こそすれ
恋のつらさも
せつなさも
お月様には
お見通しかな。
意訳:(私の恋の)つらさも恋しさも、秋の夜の月には見えている気がする。
お月さまにはお見通しだという擬人法の歌だと感じました。
「ひそかな恋をしているのに、満月が鏡のようになって、自分が映し出されているような気がして恥ずかしい」というふうに解釈されることが多いです。
「いちだんと艶っぽいお歌だこと」と褒められ、
「恋をしているからかしら」といって流し目していました!
さすが、あかね様!
第36回 待ち望まれた日
『紫式部日記』の和歌が3首登場しました!
めづらしき光さしそふさかづきは もちながらこそ千代もめぐらめ 紫式部
光さしそふ
さかづきは
もちながらこそ
千代(ちよ)もめぐらめ
持つ盃は
望月(もちづき=満月)の
ままで千年(せんねん)
めぐる希望よ。
背景:敦成親王(のちの後一条天皇)の誕生を祝う宴で詠んだ賀歌。
修辞法:「さかづき」は「盃」と「栄月」の、「もち」は「持ち」と「望(月)」の掛詞。
意訳:(若宮誕生という)素晴らしい(希望の)光が加わった(宴の)盃は、(人々が順番に捧げ)持ち続け、満月のように欠けずに、千年もめぐるだろう。
「光る君へ」で道長がまひろに「心(歌の解釈)」を求めましたね。
そこでのまひろのセリフを引用します。
中宮様という月の光に
皇子様という新しい光が加わった盃は
今宵の望月の素晴らしさそのままに
千代もめぐり続けるでありましょう。
「さしそふ(差し添ふ)」から、「中宮様自体が光だ」という賛美も暗に込められているとは!
大変素敵な解釈です💕
いかにいかが数へやるべき八千歳の あまり久しき 君が御代をば 紫式部
数(かぞ)へやるべき
八千歳(やちとせ)の
あまり久しき
君が御代(みよ)をば
五十日目に
その御代(みよ)を
想像すれば
数えきれない。
背景:誕生から五十日のお祝いの宴の後に、道長に命じられて紫式部が詠んだ。
※古文単語で「五十日」は「いか」と読む。
意訳:若宮誕生から五十日のお祝いに、どのように遙かまで数えるのが良いのでしょう。何千年も長く続くはずの若宮のご治世を。
あしたづの齢しあらば君が代の 千歳の数もかぞへとりてむ 紫式部
齢(よはひ)しあらば
君が代の
千歳(ちとせ)の数も
かぞへとりてむ
鶴のようなら
若宮の
御代の千年(せんねん)
数えるだろう。
背景:上の歌を受けて、道長がすぐに詠んだ歌。
※「あしたづ(葦田鶴)」は歌語で鶴のこと。(「たづ」でも鶴)
意訳:(私に)鶴のような(千年の)寿命があるならば、きっと若宮の御代の千年の数もはっきりと数えるだろう。
第35回 中宮の涙
なんと紫式部が和泉式部に『和泉式部日記』を書くように薦めていましたね!
『和泉式部日記』爆誕♪
(もちろんドラマだからこそのフィクションです)
『和泉式部日記』は敦道親王との出会い~恋~彼が病死したことによる別れなどが綴られています。
「光る君へ」の中では、和泉式部(あかね)が亡き敦道親王のことを思って歌をつぶやいていましたね。
ものをのみ乱れてぞ思ふ誰にかは 今は歎かむむばたまの筋 和泉式部
乱れてぞ思ふ
誰にかは
今は歎かむ
むばたまの筋
心も乱れ
ただ独り
嘆いて髪も
乱れてばかり
意訳:もの思いばかりして、心も(黒髪も)乱れて、(愛しい亡き敦道親王様を)恋い慕っています。
いったい誰に、(一人残された)今、嘆きましょう。(いや、誰に対して嘆いてもむなしいばかり)。
(こんなに乱れた)黒髪の筋(は、整えても、あの方に慈しんでもらうこともできない。。。)
★「むばたまの」は「髪」「夜」「闇」などにかかる枕詞。黒の意味も含みます。
★黒髪は平安女子の若さ美しさの象徴でした。通常、大好きな殿方と会う前は櫛で梳いてもらって整えます。
(同じ回で中宮彰子が初の一条天皇お渡りとなり、髪を梳いてもらっていたのが対照的でしたね!)
第27回 宿縁の命
「宿縁(しゅくえん)」とは「前世からの因縁」。
古文常識として知っておきたい語です。
仏教の影響で、男女の縁も、出世も、病気も、
運命はすべて前世からの因縁だと思われていました。
道長の娘である彰子の入内(じゅだい)のために、公卿らに屏風歌を詠ませていましたね。
今回はそれらの歌をご紹介します。
紫の雲とぞみゆる藤の花 いかなる宿のしるしなるらむ 藤原公任
雲とぞみゆる
藤の花
いかなる宿の
しるしなるらむ
雲かと見える
藤の花
良き宿命の
予兆だろうか
意訳:(めでたいことの前兆とされる)紫色の雲のように見える(素晴らしい)藤の花(つまり藤原氏)は、どのような(素晴らしい)宿命のきざしなのでしょう。(きっと素晴らしい繁栄のきざしですね)
※「宿のしるし」は「家の目印(家門の象徴)」といった意味でよく解釈されますが、第27回のタイトル「宿縁の命」に合わせて解釈をしてみました。
★『拾遺和歌集』『栄花物語』に載せられている歌です。
第24回 忘れえぬ人
まひろを慕っていた女友達のさわさん。
彼女が亡くなったというショッキングな知らせとともにあった歌(33分頃)。
『紫式部集』にある歌です。
この歌をまひろが音読した後のセリフ。
父、為時「おまえにまた会いたいと、思いながら、亡くなったのだなあ。」
まひろ「この歌を大切にします。」
行きめぐり逢ふを松浦の鏡には 誰をかけつつ祈るとか知る
逢ふを松浦の
鏡には
誰をかけつつ
祈るとか知る
松浦の神に
祈るのは
誰と会いたい
からか知ってる?
意訳:再び巡り逢うのを待つという松浦の鏡神社には、誰(に会いたいという願)を掛けて祈り続けているのか、わかりますか。(まひろ様、あなたに会いたくて祈っています。)
★『源氏物語』にも、玉鬘の巻に鏡神社にまつわる和歌があります。
「君にもし心違はば松浦なる 鏡の神をかけて誓はむ」
第23回 雪の舞うころ
まひろが雪を見上げて書いた和歌(15分頃)。
ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松に今日やまがへる
日野の杉むら
埋む雪
小塩の松に
今日やまがへる
定子が一番好きだったと言った和歌(17分頃)。
夢路にも露やおくらむ夜もすがら 通へる袖のひちてかわかぬ 紀貫之
露やおくらむ
夜もすがら
通へる袖の
ひちてかわかぬ
第17回 うつろい
道隆が死ぬ前に奥さんとの会話で出てきた歌です。
百人一首にあります。
作者のもとに藤原道隆が初めて通ってきたときの歌だと、『新古今和歌集』の詞書に記されています。
忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな 儀同三司母
ゆく末までは
かたければ
今日を限りの
命ともがな
永遠には愛して
くれないね。
失う前に
死ぬのがいいわ。
第8~16回
申し訳ございません。余裕が無くてまとめられていません💦
第7回 おかしきことこそ
下の第6回にあります「ちはやぶる~」の歌のラブレターを、まひろが燃やしていましたね(切ない)。
第6回 二人の才女
最初の方に、源倫子(ともこ)様サロンで藤原道綱母の和歌が話題に上がりました。
藤原道綱は上地雄輔さんが演じていますね。
道綱母は『蜻蛉日記』の作者で、段田安則さん演じる兼家の、正妻ではない妻です(財前直見さんが演じています)。
さて、話題に上がった歌は百人一首の53番の歌です。
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る(右大将道綱母)
ひとり寝る夜の
明くる間は
いかに久しき
ものとかは知る
あなたを待って
嘆いてる
夜の長さを
わかってますか?
意訳:繰り返し嘆いて、独りで寝る夜の明けるまでの時間がどんなに長いものであるか、ご存じでしょうか。ご存じないでしょうね。
最後に登場した、道長がまひろに送ったラブレター。
『伊勢物語』の有名な歌の四句目(元は”大宮人の”)を変えたの歌でした。
ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし 恋しき人の見まくほしさに
神の斎垣も
越えぬべし
恋しき人の
見まくほしさに
垣根も越えて
しまいそう。
愛しい君に
会いたいあまり。
意訳:(越えてはいけない)神域の垣根も踏み越えてしまいそうです。恋しいあなたにお会いしたいあまりに。
第4回 五節の舞姫
第4回は和歌が登場しなかったので、代わりにタイトルの「五節の舞姫」に関する和歌をご紹介します♪
百人一首の12番、僧正遍昭の歌です。
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
雲の通ひ路(ぢ)
吹きとぢよ
乙女の姿
しばしとどめむ
道を閉ざせよ。
舞姫の
天女を空に
帰らせないよう。
意訳:大空の風よ、(天女が帰っていく)雲の中の通路を(雲を吹き寄せて)閉ざしておくれ。(美しい)天女の姿を、もうしばらく(この地に)留めておこう。
第3回 謎の男
まひろが参加した源倫子(左大臣の娘)のサロンにて、ある姫君が自作のふりをして朗詠し、たしなめられた古今和歌集の歌。(詠み人知らず)
見てもまたまたも見まくの欲しければ 馴るるを人はいとふべらなり
またも見まくの
欲(ほ)しければ
馴るるを人は
いとふべらなり
逢いたい気持ち、
なくさぬよう、
馴れないように
してるんだよね?!
意訳:(馴れ親しむ前であれば)逢ってもまた、再度逢いたいと思う(のが人の性(さが)な)ので、逢瀬を重ねすぎて馴れ親しみ過ぎることを、あの人は嫌だと思って(逢うのを)避けているようだ。(そういう理由で逢ってくれないだけだと信じたい。私に愛想をつかしたのではなく…)
古典文法・古文単語解説
見る
男女の関係を持つ。逢(あ)う。
見まく欲(ほ)し
逢いたいと思う。見たいと思う。
※「見る」の未然形「み」+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+形容詞「欲(ほ)し」
※見まく「の」欲し「けれ」は、「の」は調子を整えるためのもの(対象「~を」ととらえてもよい)、「けれ」は形容詞の活用語尾の一部(已然形)
(欲しけれ)ば
「已然形+ば」で順接の確定条件(原因・理由)。
~ので・~から
馴る
馴れ親しむ。
※「馴るる」は連体形。準体法で「こと」が省略されている。
人
あの人。
※「引き歌」で使われる状況によっては「あなた」の意。
いとふ(厭ふ)
嫌がる。嫌だと思って避ける。
べらなり
推量の助動詞。
~ようだ。
※平安初期に漢文を読み下した文章に現れ、男性の用いる口語として平安末期まで存在した。一方で、歌語として延喜年間に多用され、「古今集」「後撰集」などに多くの例が見られる。
上記の歌を初句が同じ歌が『源氏物語』の「若紫」にあります♪
ひょっとすると、これを匂わせようとして登場させているのかな?!と思いましたので、こちらの歌もご紹介します!
見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに やがてまぎるるわが身ともがな
逢ふ夜まれなる
夢のうちに
やがてまぎるる
わが身ともがな
夢かと思う
レアな今。
このまま消えて
したいたいなあ。
背景:光源氏が継母にあたる藤壺との逢瀬を叶えた際に、藤壺に向けて詠んだ歌。
意訳:お逢いできても、再び逢える夜はめったに無いようなこの夢の(ような逢瀬の)中で、このまま(このどさくさに)紛れて私の身は消えてしまいものです。
赤染衛門(あかぞめえもん)が暗唱した古今和歌集にある小野小町の歌。
※赤染衛門は『栄花物語』の作者かと言われています。
『栄花物語』は『大鏡』と比べて藤原道長を褒めたたえて書かれています☆
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば ことぞともなく明けぬるものを
名のみなりけり
逢ふといへば
ことぞともなく
明けぬるものを
長いはないね。
十分に
愛を語れず
夜が明けるもの。
意訳:(長いといわれる)秋の夜も、名ばかりだなあ。愛する人との逢瀬では、(満足するほど)言葉を言い交すまえに、夜が明けてしまうのにねえ。(どこが長いのよ。短いわ。)