【夢】の和歌~令和6年(2025年)歌会始のお題「夢」~

令和6年(2025年)歌会始のお題が「夢」だと発表されました。
(宮内庁HP)https://www.kunaicho.go.jp/event/eishin.html
「夢」という言葉が出てくる和歌はいっぱいあります♪
ぜひこの機会に味わってみてください☆彡
「夢」の短歌を詠むヒントになると思います。

目次

「御製(天皇の和歌)」三首

大空に舞ひ立つ鶴の群眺む 幼な日よりのわが夢かなふ 今上天皇

大空に
舞ひ立つたづ
群眺むれなが
おさな日よりの
わが夢かなふ 
  今上天皇

訳:大空に
  舞い立つつる
  群れを観る
  幼少ようしょうからの

  我が夢叶う

意訳:大空に舞い立つ鶴の群れを眺める。幼い日からの私の夢が叶う。

★「たづ」は歌語(和歌をよむ際に多く使われる雅な言葉。)の代表的な言葉です。

★皇太子時代の平成5年(1993年)の歌会始にて。お題は「空」でした。
 こちらの歌が詠まれた背景について、小林左門先生の『皇太子殿下のお歌を仰ぐ』から引用させていただきます。

 殿下は平成三年(一九九一)三月、札幌で開かれた第十五回 「ユニバーシアード大会」にご出席のため北海道の釧路くしろをご訪問されましたが、このおりに阿寒町タンチョウ観察センターをご見学になりました。
 釧路には、頭に朱色の大きな斑点を持つ美しい丹頂鶴たんちょうづるが生息しており、その数約千三百羽とのこと。その鶴が空に舞い立つ姿は、どれほど素晴らしいものだったことでしょう。

水きよき池の辺にわがゆめの かなひたるかもみづばせを咲く 昭和天皇

水きよき
池のほとり
わがゆめの
かなひたるかも
みづばせを咲く
  昭和天皇

訳:水清き
  池のあたりに、
  我が夢が
  叶ったのかな、
  ミズバショウ咲く。

意訳:水が清らかな池の近くに、私の夢が叶ったのだろうか、水芭蕉が咲いている。

★歌の背景は富山縣護国神社のHPに詳しかったので、引用させていただきます。

昭和四十四年五月二十六日頼成山の植樹祭にてお手植ゑの後、両陛下は今の南砺市城端の縄ヶ池の水芭蕉群生地に御成り、散策遊ばされました。水芭蕉の天覧は天皇様の御希望であられた由で、当時の徳川侍従の話では、両陛下が水芭蕉を御覧遊ばすのは此の縄ヶ池が初めてとの事でした。

★富山県の城山公園には、この御製の記念碑があるそうです。
★富山県映像センターがミズバショウ群生地の映像を出してくれています。
https://www.tkc.pref.toyama.jp/video/eizou/detail.aspx?record_id=2679

我が國は神のすゑなり 神まつるむかしのてぶり忘るなよゆめ 明治天皇

我がくに
神のすゑなり
神まつる
むかしのてぶり
忘るなよゆめ
  明治天皇

訳:我が国は
  神の子孫の
  
国である。
  祭祀さいしはゆめゆめ
  忘れるなかれ。

意訳:我が国は神々の末裔(の国)であ。神を祀る昔からの作法を決して忘れるな。

★結句の「ゆめ」は「ゆめ~(命令形)」で「決して~するな」と表現される古語です。「ゆめゆめ」と同じです。
※この副詞の「ゆめ」を令和6年の歌会始の「夢」として認められるかは不明です。
(すみません。好きな歌なのでぜひ紹介したく…こちらのページでも紹介しています)

★札幌に大正三年に建立された御製碑があるようです。こちらのブログで見かけました。

 

もっと御製について読んで見たいという方は、こちらをどうぞ

「百人一首」二首

住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣

住の江の
岸に寄る波
よるさ
夢の通ひ
人目ひとめよくらむ

訳:夢でさえ
  あなたは通って
  こないのね。
  人目を避けて
  いるのでしょうか?

背景:作者は男性だけど、女性の立場で詠まれた歌だろうと言われています。(通ってくるのを待つのは女なので)

意訳:江の岸に寄る波、その「よる」という言葉の夜の夢の中の通い路でまでも、あの人は人目を避けているのだろうか。

★百人一首18番目の歌です。

春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ 周防内侍

春のの 
夢ばかりなる
まくら
かひなく立たむ
名こそをしけれ
  周防内侍

訳:春の
  夢ほどはかな
  腕枕うでまくら
  噂がヤだから
  お借りしません!

背景:筆者(女性)が「枕があるといいのに」と小声で言ったのを聞いて、藤原忠家が「これを枕に」と自分の腕を御簾の中に差し出したときに詠んだ歌です。

意訳:春の夜の(はかない)夢でしかない手枕(をお借りすれば)、何の甲斐も無い恋の浮き名が立つでしょうから、それが惜しいのです。(だから、お借りしません。)
※「かひ」は「甲斐無く」と「かひな(腕)」との掛詞です。

★百人一首67番目の歌です。もっと百人一首について読んで見たいという方は、こちらをどうぞ

「辞世の句」三首+α

昨日といひ今日と暮らしてなすことも なき身の夢の醒むる曙 小堀遠州

昨日とい
今日と暮らして
なすことも
なき身の夢の
むるあけぼの
  小堀こぼり遠州えんしゅう

訳:昨日・今日
  速く過ぎ去り
  夢のように
  はかない世から
  旅立つ夜明け

意訳:昨日はああだ、今日はこうだと言って暮らして、何かを行うことも(もはや)ない私の、夢が覚める(=夢のように儚いこの世から旅立つ)夜明けだ。

★夢から覚めると普通は現実の世になるのですが、逆に現実を夢だと表現しています。
★小堀遠州は徳川家康などに仕えた大名茶人で、建築・土木・造園などでも功績を残しています。
 (筆者が習っている)遠州流茶道の祖でもあります。
★以下の有名な『古今集』の歌をもとにした本歌取りです。

(本歌)昨日といひ今日と暮らしてあすか川 流れて速き月日なりけり 春道列樹

昨日とい
今日と暮らして
あすか川
流れて速き
月日なりけり
  春道列樹つらき

訳:昨日・今日
  明日と過ぎ去り
  飛鳥あすか川の
  流れのように
  速い月日だ。

意訳:昨日はああだ、今日はこうだと言って暮らして明日になる。飛鳥川の流れのように速く過ぎ去る月日だなあ。
※「あすか川」は「飛鳥川」「明日」との掛詞。

こし方は一夜ばかりの心地して 八十路あまりの夢を見しかな 貝原益軒

こしかた
一夜いちやばかりの
心地して
八十路やそぢあまりの
夢を見しかな
  貝原かいばら益軒えきけん

訳:この生涯
  わずか一夜の
  気がするよ。
  八十余はちじゅうよ年も
  一夜の夢さ。

意訳:過ぎ去った過去は生涯は、わずか一夜ほどの感じがして、八十数年分をその一夜の夢で見たような気がする。

★貝原益軒は『養生訓』という健康のための心得を著した本がベストセラーになった江戸時代の本草学者。

露と落ち露と消えにしわが身かな 浪速の事も夢のまた夢 豊臣秀吉

つゆと落ち
露と消えにし
わが身かな
浪速なにはの事も
夢のまた夢 
  豊臣秀吉

訳:まるで露。
  はかなく生まれ
  死にゆく身。
  栄華の日々も
  夢中夢むちゅうむのよう。

意訳:露のように生まれ落ちて、露のように消えてしまう(儚い)我が身だなあ。(天下を取った)大阪(での栄華)のことも夢の中で見る夢(のように現実味がない)。

★「夢のまた夢」「夢中夢」とは、夢の中で見る夢のこと。
 通常は「現実味の無い憧れ」のことを指しますが、実際に行ったことを「夢のまた夢」と言っているのは達観した感じがしますね。
★辞世の句でこの世を「夢」に見立てるのは明智光秀もそうです。戦国武将たちの潔さを私は感じます。

『源氏物語』三首+α

見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに やがてまぎるるわが身ともがな

見てもまた
逢ふ夜まれなる
夢のうちに
やがてまぎるる
わが身ともがな

訳:逢えたけど
  夢かと思う
  レアな今。
  このまま消えて
  したいたいなあ。

背景:光源氏が継母にあたる藤壺との逢瀬を叶えた際に、藤壺に向けて詠んだ歌。(第5巻「若紫」)

意訳:お逢いできても、再び逢える夜はめったに無いようなこの夢の(ような逢瀬の)中で、このまま(このどさくさに)紛れて私の身は消えてしまいものです。

世語りに人や伝へむたぐひなく 憂き身を覚めぬ夢になしても

がたりに
人や伝へむ
たぐひなく
憂き身をめぬ
夢になしても

訳:ゴシップを
  騒がれそうよ。
  つらすぎる。
  覚めない夢と
  思い込んでも。

背景:光源氏が上記の「見てもまた~」を詠んだことへの、藤壺による返歌。

意訳:(中宮と継子である、私とあなたとの不倫は)後世まで人々の語り草になるのはないでしょうか。類を見ないほどにつらいこの身を、覚めることのない夢だと思い込んだとしても。

 

見し夢を逢ふ夜ありやと嘆くまに 目さへあはでぞころも経にける

見し夢を
逢ふ夜ありやと
嘆くまに
目さへあはでぞ
ころも経にける

訳:正夢まさゆめ
  なって逢うのを
  願うけど
  目さえ合わせず
  日々が過ぎてく

背景:第2巻「帚木」にある、光源氏が空蝉に送ったラブレターにある歌。

意訳:見た夢が正夢になり、(あなたと)逢える夜がくるのだろうか(そんな夜はなかなか来ない)と嘆いている間に、(あなたと)目を合わせることさえもなく、この頃の過ぎてしまった。
※「夢合ふ」は古語で「夢になったことが現実となる」、つまり正夢となること。

 

おまけ(巻名歌)世の中は夢の渡りの浮橋かうちわたりつつものをこそ思へ

世の中は
夢の渡りの
浮橋うきはし
うちわたりつつ
ものをこそ思へ

訳:恋愛は
  悩みが多い。
  夢のなか
  浮いてる橋の
  ように揺れゆく。

意訳:男女の仲は夢の中の船橋(=船をつなぎ並べ、上に板をのせて渡れる橋にしたもの)(のように不安定で儚いものなの)だろうか。繰り返し渡って(逢瀬を重ねて)も、いろいろと思い悩むよ。

★『源氏物語』五十四帖ごじゅうよんじょうのラストを飾る「夢浮橋ゆめのうきはし」の巻名の由来となった古歌こかだと言われています。
 また、19巻「薄雲うすぐも」には、”「夢のわたりの浮橋か」とのみ、うち嘆かれて、” と光源氏が 「引き歌」としている場面もあります。

『万葉集』三首

万葉集の時代、自分の夢に異性が出てきたら、その人が自分のことを恋しく思っていると思われていました。

いかばかり思ひけめかもしきたへの 枕片去る夢に見え来し 湯原王の妻

いかばかり
けめかも
しきたへの
かた去る
いめに見えける

訳:準備中

意訳:(あなたが)どれほど(私のことを)愛しく思ってくれていたのかなあ。枕を片方開けて(あなたを待って)寝た(私の)夢に(あなたが来てくれて)会えました。
※「しきたへの」の「枕」などにかかるの枕詞。

山吹のにほへる妹が唐棟花色の 赤裳のすがた夢に見えつつ 詠み人知らず

山吹やまぶき
ほへおえいも
唐棟花はねずいろ
赤裳あかものすがた
いめに見えつつ
  詠み人知らず

訳:美しい
  妻が赤系
  スカートで
  何度も夢に
  出てきてくれる。

意訳:山吹のように美しく照り輝く妻の、はねず色の赤裳をつけた姿が、繰り返し夢に見えていることよ。

★こちらの歌は、「夢に出てきたのは彼女が自分を想っているから」という迷信には触れられていません。歌人の斎藤茂吉が著した『万葉秀歌』(上巻・下巻、岩波書店)から「夢」の和歌を探したところ、この歌だけがありました。
★唐棟花色は調べると赤色やピンク色、淡紅色(サーモンピンク系)だと書かれてあります。

『万葉秀歌』(下巻)にはこのように書かれてあります。

万葉集の歌は夢をうたうにしても、かく具体的で写象が鮮明であるのを注意すべきである。

確かにこんなにカラフルな夢を見たんだ!って驚きがあります。
(個人的に、夢に出てきた色ってあんまり覚えていないので)

相思はず君はあるらしぬばたまの 夢にも見えずうけひて寝れど 詠み人知らず

相思あいおも
君はあるらし
ぬばたまの
夢にも見えず
うけひてれど

訳:あなたとは
  相思相愛じゃ
  ないみたい。
  神に祈って
  寝たのに会えず。

意訳:あなたとは、相思相愛ではないらしい。夢にも現れない。(夢で逢えるよう)神に祈って寝たのに。

おまけ(似た迷信の歌)わが妻はいたく恋ひらし 飲む水に影さへ見えてよに忘られず 防人の歌

わが妻は
いたく恋ひらし
飲む水に
かげさへ見えて
よに忘られず
  防人さきもりの歌

訳:飲む水に
  妻の姿が
  映るほど、
  私を愛す
  彼女が愛しい。

意訳:私の妻は(私のことを)とても恋い慕っているらしい。(私が)飲もうとする水に、(彼女の)姿までも映って、(彼女のことが)まったく頭から離れないよ。

★「自分の夢に異性が出てきたら、その人が自分のことを恋しく思っている」という迷信と同類で、強い思いは相手に何らかの兆しが届くと信じされていました。
★「遠江国の主帳丁玉郡若倭部身麻呂」という方の歌です。遠江国は現静岡県です。

有名歌人の歌

津の国の難波の春は夢なれや 蘆の枯葉に風わたるなり 西行

津の国の
難波なにわの春は
夢なれや
あしの枯葉に
風わたるなり
  西行さいぎょう

訳:準備中

意訳:(かつての)摂津国の難波の(華やかな)春(の景色)は(はかない)夢なのだろうか。いまは、蘆の枯葉に風が吹き渡る音が聞こえる。

★以下の有名な『後拾遺集』の歌をもとにした本歌取りです。

(本歌)心あらむ人に見せばや津の国の 難波わたりの春のけしきを 能因法師

心あらむ
人に見せばや
津の国の
難波なにわわたりの
春のけしきを
  能因法師のういんほうし

訳:風流な
  人に見せたい。
  大阪の
  この素晴らしい
  春の景色を。

意訳:情趣を理解する心があるような人に見せたいなあ。摂津国の難波あたりの、春の(美しい)景色を。

★難波の浦(大阪市の海岸)は葦の名所で、その若葉の美しさが有名です。
 だから上の西行の歌は「葦の枯葉」としているのです。

(関連歌)難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春辺と咲くやこの花 王仁

難波なにわ
咲くやこの花
冬ごもり
今は春辺はるべ
咲くやこの花
  王仁わに

訳:大阪の
  入り江で冬眠
  していたが、
  「今は春だ!」と
  咲くよ。この花。

意訳:難波津に咲くよ、この(梅の)花が。冬ごもり(をしていたけれど)、今はもう春だと、咲くよ、この花が。

★『コレクション日本歌人選 西行』(橋本美香、笠間書院)で、西行の上記の歌の解説に、こちらの歌も取り上げられていました。
 『古今和歌集』の仮名序にあり、手習い(=習字)の最初に習う有名な歌だったので、西行もこちらの歌が念頭にあったでしょうね。

★作者の王仁は百済から渡来した学者で、仁徳天皇の治世の繁栄を願って詠みました。

★現在、百人一首の試合の最初に朗詠されています。(決まり字の「いまは」との混同を回避するため、四句は「今“を”春べと」に変更されています。)

「夢」といえば

さて、「夢」といえば、私は『夢を見て 夢を叶えて 夢になる』(致知出版社、室舘勲)という本に大変感銘を受けました。

いまの時代は「こうなりたい!こうありたい!」という夢を見る人も減ってきているのではないでしょうか。
身近に人生の夢があってそれを叶え、生き生きとしている人がいれば、影響を受けて夢を見やすくなると思います。
誰かの「夢になる」人が増えると、日本はもっと良くなると思います。
私も誰かの夢になれるように精進します!

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