上皇后陛下の御歌(和歌)ためらひつつさあれども行く傍らに 立たむと君のひたに思せば
上皇后陛下の御心がよく伝わる御歌(みうた)をご紹介します。
平成二十八年の五月に、上皇陛下と一緒に熊本地震による被災者へのお見舞いにお出ましになっています。
〈被災地 熊本〉
ためらひつつ
さあれども行(ゆ)く
傍(かたは)らに
立たむと君の
ひたに思(おぼ)せば
現代語訳
躊躇しながらも、そうではあるけれども行く。
「(被災者の)すぐそばに立とう(そしてその声に耳を傾け、思いに寄り添おう)」と、
陛下が一心に思っていらっしゃるので。
古典文法・古文単語解説
ためらふ(漢字:躊躇ふ)
ここでは現代語と同じ、「躊躇する・決心がつかずに迷う」の意味です。
(二句目の逆接と「行く」から、この意味だと判別できます)
※古文では「心を落ち着ける・気を静める」の意味が重要です。
つつ
接続助詞で多義語。
ここでは逆接の「~ながらも・~にも関わらず」。
(二句目の逆接と「行く」から、この意味だと判別できます。古典で逆接が二つ連なることはままあります。「逆接の逆接」ではなく、「逆接の強調」です。)
※古文では「反復」や「継続」の意味が重要です。
さあれ
副詞の指示語「そう・そのよう」+「あり」已然形。
「そうである」。
※「さあれ」は感動詞「さはれ(ままよ・どうにでもなれ)」とは違います。
傍(かたは)らに
「すぐそば」。
上皇后陛下の傍に天皇陛下がいらっしゃるという意味ではなく、
天皇陛下が被災者の傍らに立とうとされているという意味です。
已然形+ども
逆接。
(立た)む
意志の助動詞「む」の終止形。
※引用の格助詞「と」の直前の「む」は意志であることが多いです。
君
「あなた」の意味でも「天皇」の意味でもある。
ひたに
「ひらすら・一途に・一心に・真っ直ぐに」の意味。
「ひたに」という語は古語辞典も国語辞典にも無いが、接頭語「ひた(漢字:直)」や「ひたすら」から類推できる。
思(おぼ)す
「お思いになる」。「思(おも)ふ」+敬意。
已然形+ば
「~ので」。順接の確定条件。
※文法的には理由「~ので」の他、偶然条件「~すると」・恒常条件「~するといつも」がある。
31音(おん)口語訳
迷うけど、
行く。「すぐそばに
立つ」という
陛下の想い
直向(ひたむ)きだから。
和歌を味わう
「傍らに立ち」
まずは同年8月に出されました上皇陛下(当時は天皇陛下)のビデオメッセージからの引用をご覧ください。
こちらに「傍らに立ち」とあります。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(ビデオ)(平成28年8月8日)
私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
※(太赤字化は筆者)
御歌やおことばでは「立つ」とありますが、実際には起立されたままではなく、冷たい体育館にひざをついて、被災者と目線を合わせてくださっています。
その時の写真が宮内庁のHPにありますので、よろしければリンク先をご覧ください。
私は「傍らに立ち」の直後の「その声に耳を傾け,思いに寄り添う」というのが本当にありがたいなと感じます。
というのも、和歌にあります「立たむ」の箇所を訳すにあたって、
「立ってどうしようとされているのかが省略されているな」と考え、
最初に作った訳が以下です。
「(被災者の)すぐそばに立とう(そしてお見舞いして、励まそう)」
これだと、見舞い者が一方的に「大変でしたね」と声をかけていくだけのような、極端に言えば無機質な感じがします。
ビデオメッセージにあります「その声に耳を傾け,思いに寄り添う」だと、双方向のコミュニケーションで、本当に温かいご訪問だとわかります。
ためらい
時の皇后陛下が被災地への訪問をためらうという率直なお気持ちを詠んでくださっていることに、驚かれた方もいらっしゃると思います。
では逆を想像してみましょう。
「はい!よろこんで!」って居酒屋さんが注文を受けた時のように元気に訪問するというのも、違和感がありませんか?
病気や怪我をした友人へのお見舞いを想像していただくと、
正直「行きづらいな」って感情が湧いてきませんか?!
「不幸な時に、幸せそうな人の姿を見たくないって人もいるだろうし、
何と言って励ましたらいいかわからないし、
正直お見舞いするほどの仲かどうか怪しいし・・・」など、いろんなためらいの心理が想像できます。
では、「友人」ではなく「大事な家族・愛する恋人」だったらどうでしょう。
ためらわずに行くと思います。
両陛下にとって多くの国民は初対面のはずです。
だから、「自分がお見舞いに行くことで、本当に相手のためになるだろうか」と躊躇われる心理もわかる気がします。
さて、この心理に関して、公益財団法人「国民文化研究会」のHPにありました解説がとても良かったので、引用します。
我が国では古来、子が被災したとき、老いたる母は果(はた)して自分などが行って役に立つだらうかと慮(おもんぱか)るが故(ゆえ)にためらふのである。父は老いるとも、一刻も早く赴くと逸(はや)るのが常であり、老母は畢竟(ひっきょう)老父の思ひに添はう(そおう)とするのである。
※振り仮名追加は筆者
まさに、このような心理なのだと思います。
今日も一日、あなたがイキイキと生きられることをお祈り申し上げます✨