『源氏物語』で有名な和歌の訳くらべ①
『源氏物語』の全訳に挑戦してみたい!
と思っている古典の研究者は多いと思います。
これまで本当に数多くの方が訳してきた作品ですからね。
ここでは、『源氏物語』で特に有名な和歌の訳を比べてみます。
紫の上が亡くなる直前、光源氏と明石の中宮に見守られながら詠んだ、紫の上最期の歌です。
第四十帖の「御法(みのり)」に含まれています。
おくと見るほどぞはかなきともすれば 風に乱るる萩の上露
おくと見る
ほどぞはかなき
ともすれば
風に乱るる
萩の上露
背景や修辞
冒頭の「おく」は「(私が)起く(≒起き上がる)」と「(露が)置く(≒降りる)」の掛詞です。
「はかなし」は「束(つか)の間・あっけない」という意味で、
慣用表現「はかなくなる」は死ぬことの婉曲表現です。
病気で寝込んでいた紫の上が珍しく起き上がり、光源氏がそれを見て喜んでいました。
紫の上としては、そんな光源氏を見て、気の毒に感じています。
きっと「私はもうすぐ死んでしまうのに、ぬか喜びさせてしまっている…」という気持ちになったのでしょう。
「つひにいかにおぼし騒がむ(私の臨終のときに、光源氏様はどれほど思い乱れなさるのだろう)」と心配しています。
覚悟を決めてもらうために、「私はもうすぐ死ぬのですよ」というメッセージを込めて和歌を詠んだのだと思われます。
訳くらべ
以下、訳の文字数が多い順に並べています。
花に置いていると見る間もはかないものです、ともすると吹く風に散り乱れる萩の上の露は。――私がこうして起きているのもしばらくの間です。ともすれば萩の上露のようにはかなく消える私の命です。
↑ 二文に分けて、露と紫の上でそれぞれ語の順に逐語訳しています。――(ダッシュ)で繋いでいるのも特徴的です。
萩の上に露が降りたと見る間もはかないことで、どうかするとすぐ風に乱れてしまいます。私が起きているとご覧になっても、それは束の間のことですぐに消えはててしまうことでしょう。
↑ こちらも二文に分けて、露と紫の上でそれぞれ訳していますね。大学受験生向けの本をたくさん出されている方の本だけあって、わかりやすいです。
起きていると見える間もわずかな時間のことです。(葉の上に置いたと見るや)どうかすると風に吹き乱れ(飛ばされ)る萩の上露のような(はかない私の)命です。
↑ 時間を強調することで、私はもう死んでしまうという哀しさが引き立っています。()を多用しているのも特徴的です。ちなみにこちらのHPには歌の前後も含めて品詞分解の説明も書いてくれています。
私が、こうして起きているかぎり見て下さっていますが、それもわずかな間、私はもう萩の葉の上におく露のように、風に吹かれてはかなく乱れ散っていきます。
↑ 「おくと見る」の「見る」の訳し方が他の方とは異なりますね。73字ありますが、一文で訳されています。
起きていると見えますのも暫くの間のこと
ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のようなわたしの命です。
↑ 二句目で改行し、シンプルでわかりやすい訳になっています。こちらのHPは『源氏物語』の全文を与謝野晶子訳と併記して見せてくださる大変ありがたいサイトです。トップページのリンクはこちら。
私が起きても、萩の上におく露のようにはかなくあっけなく風に吹かれてしまうでしょう
↑ 紫の上の命が絶えそうであることは、この歌の訳でははっきり示されていません。
はかなさは私の命と似ています風に乱れる萩の上露
↑ 57577で訳しています。上の句で露と紫の上の類似性を指摘していてわかりやすいです。
◇平井仁子訳
起きてると
喜ばないで。
萩の葉の
露と同じで
消えゆく命。
『源氏物語』で有名な和歌の訳くらべ②はこちら。