水曜22時~ドラマ『ちやはふる―めぐり―』の和歌
ドラマ『ちはやふるーめぐりー』、ほぼ毎回、感動で泣いています💦
ここでは、ドラマ『ちはやふるーめぐりー』に出てきた歌をご紹介します!
特に「訳うた(オリジナルの57577での訳)」を楽しんでいただければ幸いです。
ちなみに、これまで(主に映画)『ちはやふる』のなかで特にキーとなった和歌は
以下のページでご紹介しまています。
第九話「このたびは」
このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに(菅家)
幣も取りあへず
手向山
紅葉の錦
神のまにまに
錦が見劣り
するほどだ。
紅葉の錦を
神様どうぞ。
意訳:この度の旅は、お供え物も持たずに向かいました。(さしあたって、この)錦のように美しい紅葉(の絨毯)を神様の意のままに(お受け取り下さい)。
☆百人一首24番歌。
第八話「おぐらやま」
小倉山峰のもみぢ葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ(貞信公)
峰のもみぢ葉
心あらば
いまひとたびの
みゆき待たなむ
紅葉よ。心が
あるならば、
次の行幸
まで散らないで。
意訳:小倉山の頂上にある紅葉の葉よ。もし(おまえに)心があるならば、もう一度の天皇のお出ましまで、(散らずに)待っていてほしい。
☆百人一首26番歌。
第七話「せをはやみ」
瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)
岩にせかるる
滝川の
われても末に
逢はむとぞ思ふ
別れた川が
一つへと
合わさるように
また結ばれよう!
意訳:川瀬の流れが早いので、岩にせき止められる滝のような川の水が(いったんは砕け分かれても、)合流するように、(あの人との仲を裂かれて逢えずにいても、行く末は)逢って結ばれようと思う。
☆『ちはやふる』でキーとなる和歌!離れ離れになっても、また会えるよねって歌です💕
☆百人一首77番歌。
第六話「たちわかれ」
立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む(中納言行平)
いなばの山の
峰に生ふる
まつとし聞かば
今帰り来む
因幡に行くが、
「戻って」と
聞いたらすぐに
帰ってこよう。
意訳:お別れして(私は)因幡の国〔≒今の鳥取県〕へ行くが、その因幡の山の峰に生えている”松”のように、(私を)”待つ”と聞いたなら、すぐに帰ってくるつもりです。
☆実際にはすぐに帰ってくることはできないけれど、別れを惜しんでくれる相手への思いやりで、このように言ったのでしょう。
☆百人一首16番歌。
第五話「おおえやま」
大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立(小式部内侍)
いく野の道の
遠ければ
まだふみも見ず
天の橋立
生野に行かず
踏み入れず。
母からのふみ(=手紙)
見ておりません!
意訳:大江山を越えて生野を通る丹後への道は遠過ぎるので、まだ天橋立(の地)を踏んだこともありませんし、(丹後にいる)母からの手紙も見てはいません。
☆百人一首60番歌。
☆母親が歌人として有名な和泉式部なので、「今度の歌会、お母さんに代作してもらうんでしょ?」とからかわれた際に、即興で詠んだ歌。
ちなみにからかったのは藤原定頼。百人一首64「朝ぼらけ~」の作者です。
第四話「おくやまに」
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき(猿丸大夫)
紅葉踏み分け
鳴く鹿の
声聞く時ぞ
秋は悲しき
紅葉の道で
鹿の鳴く
声が聞こえる
秋は悲しい
意訳:奥山で、もみじを踏み分けながら鳴く鹿の声を聞くときが、、秋は悲しく感じられる。
☆百人一首5番歌。
☆紅葉を踏み分けていたのは作者か、鹿か、説が分かれています。
第三話「いまはただ」
今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな(左京大夫道雅)
思ひ絶えなむ
とばかりを
人づてならで
いふよしもがな
「諦めるよ」と
それだけを、
人づてじゃなく、
君に言いたい。
意訳:今となってはただもう、「(あなたとの恋を)諦めてしまおう」ということだけでも、人づてではなく、(あなたに直接)言う方法があったらなあ。
☆百人一首63番歌。
☆内親王との恋が露見して、彼女の父である三条天皇にその恋を禁じられたときに詠んでいます。
第二話「しらつゆに」
白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける(文屋朝康)
風の吹きしく
秋の野は
つらぬきとめぬ
玉ぞ散りける
露が舞い散る
のはまるで
ネックレスから
逃げてくパール
意訳:(夜間の気温低下で水蒸気が水滴となって葉に付着した)白く光る露に風がしきりと吹きつける秋の野原では、(糸で)貫いてとめていない玉が散らばる(ように見える)なあ。
☆百人一首37番歌。
夜をこめて鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ(清少納言)
鳥の空音は
謀るとも
よに逢坂の
関は許さじ
関所を開けた
故事はあるが、
私と逢う関
開けてあげない。
意訳:夜が明けないうちに、鶏の鳴き真似をしてだまそうとしても、(ここは函谷関ではないので、あなたが私と逢うような)逢坂の関は、決して通ることを許すつもりはありません。
☆百人一首62番歌。
☆「函谷関」にまつわる故事を踏まえた歌でした。
秦の国から逃げ帰った孟嘗君が函谷関まで来た際に、部下に鶏の鳴き真似をさせて、番人に開門の時刻だと思いこませ、そこを無事に通過した話が『史記』にありました。
第一話「めぐりあひて」
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
見しやそれとも
分かぬ間に
雲隠れにし
夜半の月かな
すぐに帰った
友人は
雲に隠れた
月みたいだな
意訳:めぐりめぐって再会して、(ゆっくり話したかったのに)確かにその幼馴染だなと実感もしないうちに、雲に隠れてしまった夜中の月(のような彼女)だな。
☆百人一首57番歌。
☆紫式部が父の赴任についていった越前にて、幼馴染の女の子と再会したのにすぐにその子が帰ってしまったことを惜しんで詠んだ歌です。
みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひける縁は深しな 光源氏
恋ふるしるしに
ここまでも
めぐり逢ひける
縁は深しな
光源氏
恋の証に
またここで
逢えた君とは
運命なんだ
意訳:身を尽くして(あなたを)恋する証拠に、(水路の目印である)澪標があるここでも、(あなたと)めぐり会えた縁は深いのだなあ。
☆「澪標」は川や海で水路の目印として立ててある杭。
多くの和歌で「身を尽くし」との掛詞になっています。
☆「縁」は仏教の思想から「前世からの因縁、宿縁」を意味します。
平安時代、男女の縁は前世に原因があると考えられていました。
☆『源氏物語』で光源氏が明石の君に贈った歌。
光源氏が都に戻ったあと、源氏と明石の君はたまたま、同タイミングに住吉に参詣しました。
明石の君は光源氏の盛大な行列に気後れし、自分の身分の低さを引け目に感じ、声もかけずにいました。
そのこと知った源氏が贈った歌となります。
(参考)百人一首にある「みをつくし」の歌
わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ(元良親王)
今はたおなじ
難波なる
みをつくしても
逢はむとぞ思ふ
どうしようもない。
もうままよ!
身が滅ぼうと
あなたに逢おう。
意訳:(あなたとの恋が露見し、逢えなくなって)つらい状況になってしまったので、今はもう(どうなっても)同じことです。大阪にある澪標ではないが、身を尽くして(命が尽きてでも、あなたに)逢いたいと思います。
☆百人一首20番歌です。
☆恋の露見とは、女御(天皇の妻)との不倫の発覚です。
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき(皇嘉門院別当)
蘆のかりねの
ひとよゆゑ
身を尽くしてや
恋ひわたるべき
出会った彼と
ワンナイト。
一心不乱な
恋が続くの?
意訳:大阪湾にある葦の刈り根の一節のような旅先での一夜の共寝のために、澪標ではないが身を尽くして恋い続けなければならないのでしょうか。
☆百人一首88番歌です。