明治天皇の御製(和歌)我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき

靖国神社の本殿に、こちらの御製(ぎょせい)(=天皇の和歌)の御宸筆(ごしんぴつ)(=天皇の直筆)の額がかかっています。
昇殿参拝された際にはぜひ、仰ぎ見てみてください。

我國(わがくに)
(ため)をつくせる
人々の
名もむさし野に
とむる玉かき

現代語訳

我が国のために命を尽くした御英霊(ごえいれい)の(御魂も)お名前も東京に留めてある神社だ。

古典文法・古文単語解説

つくせる
「つくす」は辞書には「献身的に努力する」という意味もあるけれど、「考えられる限りの方法・手段(持てるすべての力)を出し切る」という意味の方が合いそうです。端的に言いますと、命を尽くして殉職したことを指します。
「る」は完了の助動詞「り」の連体形。

人々
靖国神社に祀られている人々をご英霊(えいれい)とお呼びします。

(名)も
添加の「も」がある理由は正確には存じ上げません。
(もしご存じの方がいらっしゃったら、コメント欄に記入していただけますと幸いです)
私の予想では、御魂(みたま)に加えて、お名前もあるという意味でしょうか。
「書き留む」を「留む」に省略していることとも、辻褄が合います。

むさし野
「武蔵」は広くは関東または武蔵国の平野を指します。
旧国名である武蔵国は、今の東京都・埼玉県のほぼ全域と神奈川県北東部に相当します。
「靖国神社」の旧名称が「東京招魂社」なので、その東京を指しているかと思われます。

とむ
前に「名も」とあるので、「書き留む(後に残すために、書いておく。書き残す。書きとめる。)」の意味です。
「とむる」は動詞「とむ」の連体形。

玉かき
「たま」は接頭語で美称。神社の周囲にめぐらした垣根。
※「たまがき」と濁音で読むことが多いですが、上代(万葉集の時代)は「たまかき」でした。
ここでは「神社の垣根」で神社自体を象徴していると思われます。
(垣根の内側に御魂を留めるという意もあるのでしょう)
※垣根にご英霊のお名前が書かれているわけではありません。

31音(おん)口語訳

国のため
命尽くした
英霊(えいれい)

御魂(みたま)も御名(みな)
残す靖国

和歌を味わう

背景を勝岡寛次著『明治の御代 御製とお言葉から見えてくるもの』(明成社)から引用させていただきます。

 靖国神社は、戊辰(ぼしん)戦争以来、国事に殉(じゅん)じた人々を祀る神社です(別格官幣社)。
 明治二年(一八六九)六月、戊辰戦争の朝廷方戦死者を慰霊するため、大村益次郎の建策で「東京招魂社(しょうこんしゃ)」として創建されたのが、靖国神社の前身です。明治七年(一八七四)一月、天皇は招魂社に行幸され、親謁されています。

    招魂社にまうづる時よめる
  わが国のためをつくせるひとびとの名も武蔵野にとむる玉垣(7)

 これは、明治七年に天皇が招魂社に行幸された際の御製です。明治十二年(一八七九)六月、靖国神社と改称、これは明治天皇の命名になるものです。
 明治天皇の招魂社・靖国神社への親拝は、その後も明治八年二月、十年十一月、二十八年十二月、三十一年十一月、三十九年五月、四十年五月と、明治年間に七回にも上っています。

なお、上記の和歌の後に(7)とあるのは、明治七年に詠まれたという意味です。

明治神宮外苑にあります聖徳(せいとく)記念絵画館には、この靖国神社行幸を描いた大きな絵が飾ってあります。

現代では先の大戦の戦没者などを合祀して246万6千余柱の方々の英霊が祀られています。
※亡くなった方は神道では神さまなので、人数の単には「柱」です。

その方々の名前の帳簿もあるという風に聞いたことがあります。
(不確かな記憶なので、間違っていたら申し訳ございません。)

 

ちなみに私は靖国神社にて結婚式を挙げさせていただきました。
ご英霊の皆様のお導きによって、『歴代天皇の御製集』にも携わらせていただいたのだろうなと感じます。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

今日も一日、あなたがイキイキと生きられることをお祈り申し上げます✨

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